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2022.08.05 (金)

現在、ほぼ2日†3日おきに巡回公演が目白押しで続いています。
忙しくて、ブログが追いついていません。

8月3日は、久留米市内学童保育所にて、「どんぐりと山猫というはなし」巡回公演でした。
7月31日に引き続き、コミュニティセンター2階ホールでの公演でした。

2階への荷揚げと搬出のために、ボランティアの皆様のお手をお借りしました。大変助かりました。ありがとうございました。

さて8月3日の公演では、子どもたちが集中して見てくれました。
「ボクは一郎くんの気持ちがよくわかる」と言ってくれた男の子、深く集中して観てくれていたのですね。ほんとうにありがとう。

さて、次は作品が変わり「ちょうふく山のやまんば」による巡回公演です。
明日と明後日は、公民館を借りての通し稽古。
夏バテしないようにがんばります。

【釜】






パペットシアターPROJECT助成採択決定!

2022.08.04 (木)

連日の猛暑日。
皆様、いかがお過ごしですか?

さて、今年2022年度「パペットシアターPROJECT-困難を抱えるこどもへの人形劇観劇支援」事業への助成が採択されました。
今年度もパペットシアターが開催できることになりました。

今年、本事業への助成をいただくのは、ちくご川コミュニティ財団様の「子ども若者応援助成」です。
(昨年は、地域創造基金さなぶり様から助成をいただきました)。

ちくご川コミュニティ財団様は、地域市民活動のプラットホームの役割を果たしてあります。
そして財団様の「子ども若者応援助成」は、「困難を抱える子どもや若者に役立てて欲しい」という趣旨で寄贈された遺産を原資として運用されてあります。
大切に活用されなければならない資金です。

私たちは「公募募集」に応じて申請して、採択団体6団体の一つに選ばれました。
多数の団体様が応募される中、本団体の事業が採択されたことにホッとしています。

今年いただく助成金は30万円弱。
この助成金で、今年は外国籍、経済的困難、不登校の子どもたちと保護者の皆様への人形劇観劇支援を行います。

今年パペットシアターは、過去2年の実践の上に立って、事業の資金的裏付けの拡大を得たことで、一層の支援拡大をしていく計画です。
私たちも大変になります。

ですが、まだまだ心の中で悲鳴をあげている膨大な人々、その人々への支援を表裏なく展開する心ある人々のごく一部にしか届かない規模の実践であることは間違いありません。

先は長いのです。
私たちの道は、はるかに遠くまで続いていきます。

それを今年は、私たち以外に当事者支援団体3団体様と、ちくご川コミュニティ財団様と三者協同で歩いて行くことになりました。

さあ、いよいよ今年のパペットシアターPROJECTが動き出します。

【釜】






子ども人権教室での公演、終わりました。

2022.08.02 (火)

連日の猛暑日にうだってしまいます。
7月最後の日曜日は、久留米市内で実施された子ども人権教室にて公演させていただきました。

公演にあたりましては、主催団体の方には朝早くから会場となるコミセンを開けていただきまして、ありがとうございました。
また、最初の搬入から搬出の最後までお手伝いいただいた人権啓発推進協議会の会長さんも、ありがとうございました。
重ね重ね、厚く御礼申し上げます。

参加した子どもたちや大人の皆様も、熱心に見ていただき、本当にありがとうございました。
お家に帰って、大人の人や兄弟同士で、劇を観て考えたこと思ったことを自由におしゃべりしてくれると嬉しいなぁ。

また、劇のあとは校区父親委員会の大人の皆さまによる射的大会。大いに盛り上がっている様子でした。
運営にあたられた皆様、お疲れ様でした。コロナ禍の中で行事をつくりだすことの大変さは想像に難くありません。自分のお父さんたちが一生懸命になって準備して運営している姿を目撃するということは、子どもにとって何ものにも代えがたい、とっても大事な体験になるだろうと思います。

今回の企画は、人形劇観劇をつうじて人権について考えてみるという企画。新しい取り組みとして模索しながら、取り組まれていらっしゃいました。
とても素敵な企画に関われたこと、嬉しく思います。今後の益々のご発展を、ささやかながら応援させていただきます。

【尚】






民話を解体しつくす新作

2022.07.23 (土)

夏の暮れにヒグラシの声しきり。
夏の昼下がりはとても静謐。シンとしています。

さて今日は、いまだに四苦八苦している新作脚本について書いてみます。

まずは回り道から。

現在上演中の人形演劇「どんぐりと山猫というはなし」は、「一番という価値を問う」主題を内包しています。
そして観て寄せられる様々のコメントの中に次のようなモノがあります。

「それぞれに一番である」(それぞれにオンリーワンであるという意味)というコメント。

もちろん悪くないコメントです。全く悪くない。いいコメントです。

だが…、しかし…。

ナンだか痒いところを靴の底からかいているような、そんなもどかしさが残ってきたのも事実です(あくまで私の気持ちとしてですが)。

そのもどかしさの正体とは…?
私は言葉にしかねていました。
言葉にしかねているということは、この感情の正体を掴んでいないということです。
だから、モヤモヤして、掴みどころのないもどかしさが残り続けていたのです。

ところが、或る時に、或る人とおしゃべりをしていて、フッと言葉が出てきました。
スラスラと言葉が出てきたのに、我ながらビックリしたのです。

それは「それぞれに一番でよい」とは、「生活に恵まれた方々(或いは劇場に足を運ぶくらい生活にゆとりのある方々)から出ている言葉ではないだろうか?」ということでした。

もちろん私たちの人形演劇は、チケット料金を可能な限り低く設定しています。
ですから多くの方々にとっては、子どもが「行きたい」と言えば観劇しやすいタイプの公演です。

しかしそうであっても、日々の生活不安におののく方々は、はたして劇場に足を運ぶでしょうか?
いや、こない。
きっとそれどころではないはずです。
その方々は、劇を見にこない。
手に取るようにわかります。

きっと、生活にチョッピリゆとりのある方々は、「未来への選択肢」が複数あった中で成長されてきたのではないでしょうか?多少なりとも、そうではないでしょうか。
だからオンリーワンだといえる。

生活不安におののく方々は、生活不安が強ければ強いほど「未来への選択肢」が限定されていきます。
アマルティア・センの言うように、貧困とは「選択肢が狭まること」なのです。
ですから極端な場合は、選択肢がたった一つ。

例えば「高校を出たら就職」という選択肢。
それ以外は考えられないという状態。
一見「本人の希望によって就職を選択した」ように見えていても、当事者の心の中では「就職しかない」と考えている、それしか考えられなくなっている状態。

いくつもある選択肢の中から、就職という選択肢を自分の意志で選択したのならいいんです。
何も問題がない。
しかし、当事者の主観においては「選択肢がなくて選択させられている」状態であるならば…。
これが問題なのです。

そんな渦中にある当事者からすれば、「オンリーワンでよい」と言われても、何か釈然としないものを抱え込んでしまいます。
ありのままの自分でよいと言われても、ありのままを選択したわけでなく、選択させられているのですから。

じつは当事者は「冗談じゃねえよ。オレはこの道しか選べなかったんだよ。オンリーワンとかしゃらくせえ」と思っているとしたら…。

どうも、これが冒頭に述べたもどかしさの正体のようです。

つまり、現実社会では「未来への選択肢」に格差がある。
これを希望格差といいます。
そんな社会の中では、「それぞれに一番である」と言う善意のオンリーワンの言葉が、当事者にとって納得のいかない言葉になり得る。
しかし、その言葉に当事者が納得していないかもしれないことを、言葉を吐く人間が気づいていないのではないだろうか?

それが、もどかしさの正体です。

かといって、「それぞれに一番である」というコメントを批判すれば事足りることではありません。
またこのような批判は、社会分断を加速させることにつながりかねないと思います。

観劇出来るくらいには生活にゆとりがある方々と、もはやそのゆとりすら失われた方々との間を分断して、一体何が生まれるのでしょう?

何も生まれない。

ほんとうの敵を見失って、お互いのいがみ合いだけが加速していくだけではないでしょうか?
かつてTVで繰り広げられた生活保護バッシングのように。

生活保護を受けている方々に対してのバッシングに、生活保護水準以下で頑張って暮らす人々が参加して、バッシングを加速させていく。
まるで「お前だけいい目を見やがって」と憎むかのような激しいバッシング。

いくらそれを加速させても、生活保護が受給しにくい状況は何も変わらない。
むしろ自分の首を締めただけになる。
そのような分断を煽ったのがTVでした。
それで一体誰か得したのか?

大切なことは、分断ではなく「見えなくされている当事者」のリアルな生活実態と感情が可視化されることだと思います。
共感が生まれる仕組みを創りだすことです。
少し古い言葉使いになりますが「民衆の連帯」を生み出すことです。

「民衆」という言葉は、もうまるで生きた化石。シーラカンスのような言葉ですね…。
死語と化したと言っても言いすぎではないでしょう。
しかし、いま、あえてその言葉を確信をもって使いたいと思っています。
大衆でも庶民でもなく

「民衆」。

この言葉でなければ、見えてこない景色があるのではないでしょうか?
私は、この言葉でなければ見えてこない景色を視たいのです。

さて、このブログは新作について書いているつもりです。
決して忘れているわけではありませんよ。
ここまでに書いできたこと、それは新作脚本の創作動機なのです。

私は、見えなくされている貧困を可視化し、共感を幾重にも組織したいのです。

ですから新作脚本では、現代の貧困にあえぐ子どもが、民話「貧乏神と福の神」を、完膚なきまで解体しつくします。
気持ちがよいくらい、木っ端微塵に打ち砕きます。

でも、この脚本全体に「ドラマの時間」が流れるためには、現代の貧困を生きる子どもを、生き生きと描き出す必要があるのです。

男の子だったら、まだやりやすい。
なぜなら、私自身が貧困の中で育ってきたから、感情の細かい機微までわかります。
でも女の子と設定するとすれば…?

苦しんでいます。
じつは、今度で4回目の書き直しです。

さあ、そろそろ書き直しにかからなくては…。
自分に厳しくがんばらないと…。

【釜】






おやこ人形劇場と対話のひろばを終えて

2022.07.18 (月)

昨日7月17日日曜日、おやこ人形劇場(石橋文化センター小ホール)を、約100名の御観劇で無事に終えました。

特に15時の回は、今回初試みの「対話のひろば」付き。
対話のひろばへの参加者は30名を越えました。

参加された市民や高校生、教職員の皆様、御参加いただきありがとうございました。
善き充実した時間でした。

発言された高校生や市民の皆様の声、一つひとつが貴重なものだったと思います。
終わってのボランティアの方からの声を紹介してみます。

「噛み合わない話だったけれども、無理に噛み合わせると面白くなくなる」

その通りだと思います。噛み合わせることが目的ではありません。
私たちの人形演劇を観て感じたこと、思ったことを出しあい、それぞれの発言から、お互いに気づき合う。
何を気づくかは、それぞれに任されます。
その意味で、昨日の「対話のひろば」は、大成功だったと思います。

それにしても、考えてみれば、劇を観た見知らぬ者同士が、その場で語り合うことは滅多にありません。
それが出来たということは凄いことなのだと思います。
昨日行ってみて、あらためてそう確信しました。

ありそうで、周りを見渡すと、そんな場はなかなかありません。
外観はアフタートークとよく似ています。
しかし中身は全く違うものなのです。
主役は劇を創った者でも演じた者でもなく、劇を観た皆様なのですから。
アフタートークよりも、はるかに面白い。
行ってみての実感です。

誰もが対等で、いろんな意見に耳を傾ける。
そこで起こるある種の「化学反応」を楽しむ。
そんな場が、もっともっと広がることを願います。

昨日の「対話のひろば」で発言されていなくても、話したくて話したくてウズウズしてあった方々も、いらっしゃると思います。
今後は、そんな方々がもっと自由に発言出来る場にしていくために、もっと「対話のひろばに」改善を加えていきたいと考えています。

事前に劇についての情報を得る→劇を観る→語り合う。
そんなサイクルを創りあげていけたらと思います。
なぜなら、本来劇を観ることは、そういうことなのだと考えるからです。

今回お手伝いいただいたボランティアの皆様、「対話のひろば」のコーディネーターをしていただいた竹島さん、そして技術スタッフの皆様、ありがとうございました。
おかげで、とてもよい場と時間が出来ました。

さて今からは、お盆前までに3ヶ所を回る夏の公演期間を迎えます。
作品は「どんぐりと山猫というはなし」と「ちょうふく山のやまんば」。
明日は早速、会場下見に出かけます。

【釜】






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