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ちょうふく山のやまんば、本日巡回公演

2021.08.05 (木)

猛暑日が続きます。日中の暑さにバテながらも、夕方日没前の茜色の空に感動を覚えます。
日光に照らされて光る山々の鮮やかな緑色にも、夏らしい力強い生命力を感じますね(^^)

本日は、久留米市内の学童保育所にて公演。
夏のような力いっぱいのエネルギーを発信する素敵な子どもたちと出会えた公演でした。
一生懸命みてくれて、劇に参加してくれて、ありがとうございました(^^)

コロナ感染対策を行ったうえでの上演です。
密を避けるため、換気や会場の広さなどの条件をクリアする必要があります。
指導員の先生方は、観劇会を安心して開催するための会場探しで奔走されたのではないでしょうか。厚く御礼申し上げます。
子どもたちの観劇体験を確保したい。私たちも同じ思いで、マスクの着用や消毒の徹底をしたうえで上演に臨んでいます。

観劇体験は、画面越しではなかなか難しい。
もちろん画面越しで得られる体験もあると思いますが、観劇体験はその場に集い、舞台と客席が双方向に響きあって初めて得られるものが大きい。上演するたびにいつもそう感じます。

1年半ほど続いているコロナ禍の生活。この環境に慣れてきたとはいえ、日常の喪失が子どもたちに与えた影響とそれを回復させる手段についてはまだまだ模索の途中です。
また、コロナ禍の中で今まで以上に厳しい環境に追い込まれてしまっている子どもたちも多くいます。

わたしたちにできることを。
福岡県に4回目の緊急事態宣言が発出される可能性を目前にして、深く考えます。

【尚】






巡回公演スタート

2021.08.03 (火)

8月になりました。暑さは真っ盛りですが、だんだん日没が早くなってきています。
つくつく法師も鳴き始め、夜になると虫の音が…。秋が忍び足で近づいています。

さて、劇列車は演目「どんぐりと山猫」から「ちょうふく山のやまんば」への作品転換を終えて、本日から夏の巡回公演をスタートさせました。

今日は、久留米市内の学童保育所での「ちょうふく山のやまんば」公演。
窓を開けての換気、客席の間隔を空ける、マスクをしての上演と事前検温等、感染対策をとりながの上演です。

巡回公演は3月以来です。久しぶりに、子どもたちの前での公演。
事後の会場消毒まで含めて、なかなかに負担は大きいのですが、なによりも子どもたちの前で人形劇を演じる喜びがあり、「やるぞ!」と思えます。

終演後は、人形説明と人形を持ってもらう体験コーナーです(もちろんアルコールで手指消毒をして持ってもらいます)。
時間の関係で、代表者の子どものみに人形を持ってもらいましたが、客席からはたくさんの手が上がっていました。
人形を持つことができなかった子どもたち、本当にごめんなさい。
興味津々で、人形説明の話しを聞いてくれて、本当にありがとう。

明日は、別の会場で「ちょうふく山のやまんば」仕込みです。
夏の暑さにあてられないように、細心の注意を払って舞台を仕込みます。

さて巡回公演のみならず、秋の「市民人形劇学校」の制作も本格始動しました。
また、とある企業様からズームによる取材を受けるなど、多忙を極めています(この取材の件は、取材記事が公表された時点で、ブログをお読みの皆様にも御紹介します)。

夏の巡回公演が一段落したら、ひとみ座編「人形劇教室」(新興出版1964年発行)の読み合わせ、ブレヒトの戯曲「胆っ玉おっ母とその子どもたち」(未来1999年発行)読み合わせ等、学習の時間をとりたいと思っています。

稽古こそ最も実践的な学習の場でしょうが、一方で座学としての学習も大切なのです。
座学の学びと稽古での実践的な学びは、車の両輪です。

【釜】






夏の巡回公演へ

2021.07.23 (金)

学校の夏休みに入りました。
劇列車は、夏休みの巡回公演に向けて、作品を「ちょうふく山のやまんば」に再転換中です。
「どんぐりと山猫」ブラッシュアップは、秋深まった頃から取りかかる予定です。

昨年はコロナ禍の中、巡回公演も激減しました。ですが、今年はだんだん上演回数も回復傾向です。
上演メンバーのワクチン接種も進み、フィジカルディスタンスと換気等に気をつけながら公演を開催すれば、ひとまず一安心といえましょうか。

(オリンピックに伴う感染爆発可能性や変異型ウィルスの蔓延可能性など、不安材料も多く、楽観出来る状況にはありませんが…)

夏から秋にかけて現在のところ、巡回公演は5公演が決まっています。
来年春までで考えるとさらに数公演増えそうです。

また、秋には「市民人形劇学校」から「親子であそぶ人形劇がっこう」とワークショップを中心とした企画が目白押しです。
まずは先陣を切る「市民人形劇学校」の実務的準備が立ち上がります。

定期公演新作を終えて、ホッと一安心とはいかないところです。
再び劇列車の「運動」的側面での動きが加速していきます。

新作「どんぐりと山猫」は、ブラッシュアップの方向性を討議する時間をとります。
そして当面は、作品改善を図るための理論学習期間となりましょうか?特に「異化効果」は、今回初めて意識的に取り入れてみましたが、まだまだいかにも手探りで雑だなぁと実感しています。
ブレヒトの脚本読み直しも必要なのでしょうか。

さぁ、バテないように夏の巡回公演準備にかかりましょう。

【釜】






第22回定期公演を終えて

2021.07.19 (月)

第22回定期公演「どんぐりと山猫」、無事に初演を終えました。
観ていただいた御客様、ありがとうございました。

お手伝いいただいたポランティアの皆様、ありがとうございました。とても助かりました。舞台公演は、表方の皆様の支えがなくては成り立ちません。厚くお礼申し上げます。

また13時の回に訪れた皆様、ドアを開け放し過ぎて、暑い思いをさせました。また、横から漏れるドアの光りと、暑さで大変な御観劇だったと思います。改めてお礼申し上げます。

さらに、13時の回に当日チケットをお求めに来られた方、コロナウィルス感染防止を求められている中で、満席のために当日チケット販売を停止しておりました。この場を借りて御詫び申し上げます。

さて、たびたびブログに書いてきましたように、「どんぐりと山猫」は†主題を鮮明にすること† モノを蘇生さする魅力の追求の、二つをねらった作品です。

モノを蘇生させる表現には、結構苦闘し、その苦闘それ自体を楽しんできたつもりです。
御客様にも面白がっていただけたのでは、と思っております。
少なくとも、現段階での私たちの表現の精一杯を出した作品でした。

アンケートにありました「不思議な世界だった」という複数の文章は、モノを蘇生させることと、「どんぐりと山猫」の世界が親和性が高いということの現れなのでしょうか?一つの仮説として、忘れないうちに書いておきます。

(一方で「モノの蘇生追求に弱い部分もありました。
例えば、馬車別当は顔の造形のみに私たちの関心が集中してしまったこと。
考えてみると、馬車別当は顔と布のみによる人形表現にチャレンジしたものです。
とするならば、布と空気が織り成す不思議でフワフワした妖しげな表現も、人形の表現として軽視できないのではないでしょうか。御客様の前で初演してみて、はじめて気がついたことですが、馬車別当の人形造形にはまだまだ工夫が必要だと思います。
また、切り株という装置が長い布の動きを邪魔になり、お互いに相殺しあってしまうといった欠点も生まれたようです。)

また主題の追求においては、主題が鮮明になればなるほど、「難しい」と感じられた方々もいらっしゃいました。

一方で終演後、娘に「おかあさん、一郎くんはどうすればよかったの?」と聞かれたからと、わざわざ私たちに声をかけてくださったお母様もおりました。
また、観劇中に「一郎くんの言ってること、違うよ」と、子どもの呟きがあがっていたり、「そうかな。そうじゃないよ」などの声があがったりしていたとのことです。
子どもたちが劇に魅入りながらも、生き生きと考えている様子が見られました。
これは、観劇をつうじて子どもたちが哲学的思考をしていることだと思います。
哲学は、日常を支配する価値観に対して疑問を持つことからはじまります。
いいかえれば、疑問を持たなければ、哲学ははじまらないのです。
その意味で、哲学は大人が独占する学問ではなく、むしろ子どもの方が哲学に親和性が高いのかもしれません。
五歳の未就学児であっても、哲学的な感受性と思考は可能であるという話しも聞きます。

さて、観劇中の子どもの様々な呟きを教えていただいたことで、観劇体験における子どもの思考のありようが、私たちにも見えてきました。教えていただいた方々、ありがとうございました。

私たちは、この人形劇で「考える」劇を創りたいと考えてきました。
人形劇の面白さを存分に織り込みながらも、「面白さ→感動」ではなく、「面白さ→思考」を優先してきたたつもりです。
そのために、意図的に主人公に同化出来ないようにし、観劇者の思考を誘発しやすい人物造形をしてきました。
その結果、「どんぐりと山猫」が子どもたちに活発な思考を誘発させていたとするならば、これはとても嬉しいことです。

(蛇足ながら、私は「感動をもらう」とか「感動を与える」とかの言葉が嫌いです。そもそも感動とは「もらったり与えたり」出来るものなのでしょうか?感動の土台は、自らが感じる、自らが考えるという主体的行為の中にしかないはずです。「もらう」だの「あたえる」だの、安易な感動で人間が変わるなどあり得ないことです。)

さて、「どんぐりと山猫」は、脚本を劇作家養成講座8月例会に提出予定です。
初演作品を、P新人賞選考会に応募予定です。
これは、自分たちの創造を外部評価にさらすことで、違った観点から作品に光があたることを求めたいと思うからです。
手酷く叩かれると思います。
しかし、それを怖れていては私たちの創造上の前進は止まります。

ブラッシュアップした「どんぐりと山猫」は、次回の手打ち公演、3月6日日曜日に予定しております。
場所は久留米シティプラザCボックス。「春のおやこ人形劇場」(芸術文化振興基金助成)で、御観劇できます。

今回、観劇お申し込みいただいた多くの方々に、定員に達したためお断りの返信をせざるを得ませんでした。
もしよろしければ、「春のおやこ人形劇場」での御観劇を、御検討いただければ幸いです。
【釜】






公演前に考えたこと

2021.07.12 (月)

7月に入りました。セミが鳴き始めています。

さて、18日の新作定期公演「どんぐりと山猫」に向けて、3週間連続の土日稽古が終わりました。公民館にフルで舞台を組んでの通し稽古。そして抜き稽古。その反復でした。

人形劇はモノを蘇生させる演劇です。またモノには、人形も小道具も舞台装置も含まれます。
ですから、舞台がフルで組まれて稽古しないと、モノ同士の関係を作れない。
人形同士はまだしも、それ以外のモノとの関係構築には、どうしてもフル舞台が必要なのです。
その関係の構築の作業が、苦しくも面白いものです。

さて、新作稽古が佳境に入ってくると、劇列車はもっとも劇団らしく?なってきます。

劇列車は子どもの発達にコミットする文化運動体ですから、劇団ではありません。
一方で、自分たちで作品を創造することを中核とする文化運動体ですから、その観点から劇列車を眺めれば、劇団にも見えます。

劇列車という団体が「よくわからない」と言われることがありますが、それは上記のように、文化運動体と創造団体の二重性を帯びた集団であるからなのです。

藤原惟人氏は文化運動の発展原則について、次のように発言しています。

「すぐれた理論がなければすぐれた運動はありません。そして、その理論と運動を象徴するすぐれた作品が生まれたときに、運動が飛躍し新しい段階に入ります」と。

私たちがすぐれた作品づくりに精魂傾けるのは、藤原氏のいう文化運動の発展原則に首肯し、その原則に沿おうとしてきたからです。
なぜなら、藤原氏の発言には、私たちの体験から生まれた実感が語化されていると感じるからなのです。

そこで考えてみましょう。
すぐれた作品をどこか他所から仕入れてくれば、運動そのものに専心できます。
すぐれた作品を運動体の中から生み出そうとすれば、これはじつに大変なことになります。

しかし、思うのです。
今は、人間の危機がどうしようもないほどに深まった時代です。行き詰まった時代です。
そのような時代には、次のことが求められていると思うのです。

自らの人間性を回復する創造と、〈世界〉に働きかけて他者と関わる運動の二つの領域。
それを一つに統一して展開することが、求められていると思うのです。

運動と創造の二つの領域を、横断的に一つのものとして展開する。
そのことではじめて、人間は「人間になり得る可能性」を手にいれるのではないかと思うのです。

これは哲学的思考の領域の話しです。これが「理論」なのです。
理論は、すぐれた作品に直接に結びつくものではありません。
直接に文化運動の発展につながるものでもありません。
理論だけで、すぐれた作品も生み出せず、運動もしりすぼみということもあり得ます。
これを理論倒れというのでしょう。

しかし、人間性とは何か?その回復とは何か?という思考は、表現と運動の土台を耕します。
理論倒れを恐れずに、理論は構築されていかなくてはならないと思うのです。

話しを戻しましょう。
この新作製作の佳境4か月間、私たちは存分に表現を創るよろこびにひたりました。
存分に表現を創る苦しみにひたりました。
体力的には体重が減るほどの負担がありました。ホントに顔がげっそりとやつれていきます。
(もっとも、これは私だけのことかもしれません…)
それが創造です。

そして、表現のよろこひと苦しみのごった煮の「ごちそう」を味わってきた日々は、劇列車がもっとも劇団らしくみえた日々でもありました。

新作「どんぐりと山猫」、いまの私たちの精一杯の作品であることは事実です。
まだまだ表現を突き詰めて、追求できることがある。
そのことを、自分たちで分かっていることも事実です。
そのせめぎあいの緊張の中で創られてきた精一杯の「現在」を、皆様に御覧いただくことになります。

願わくば、御覧いただける皆様とつくる時間が、「創るよろこび」と「観るよろこび」が出会う場になれば…。
こんなことを、心から願っております。
【釜】






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