困難を抱えたこどものこころ

困難とは生きづらさのこと。
考えてみると、

生きづらさは本人のせいではない。
それは社会が生み出している。
なのに周りのおとなは本人のせいという。心を入れ替えろと。
だから生きづらさを抱えたこどもは押し黙る。

ぼくのせいだ。
ぼくがだめなんだ、と。
そして、・・・仮面を被る。生きづらさは増していく。

大人たちは忘れていく。生きづらさを抱えたこどもがいることを忘れていく。
「そんな子いたっけなぁ・・・」「変わった子だったよね」

仮面をかぶって必死に生きているのに、いつのまにか過去形で語られる。そんな子はみえなくされている存在。

ほんとは、
ほんとは、
個人的なことは、社会的なことなのに。

市民シンポジウム「困難を抱えたこどものこころ」は、困難を抱えたこどもに寄り添う支援団体、こどもに働きかける団体、5団体が集まります。

ああだ、こうだ。
と学びあいます。

とても貴重で大切な市民シンポジウムです。

いよいよ、近づいてきました。
今日は西日本新聞でも告知していただきました。
広がる不公平・不平等に心を痛めてある市民の皆様、こどもに未来に心痛めてある心やさしき皆様。

どうぞ、御参加下さい。どなたでも参加できます。



【劇列車】