さちの物語久留米公演に向けて~作者から皆様へ

いよいよ年の瀬です。
外は一面、雪景色。

新作「さちの物語~一番聞いてほしいことは一番言いたくないこと」初演が終わり、ホッとしています。
初演を終えて、作者として皆様にお伝えしたいことを、今から三つお伝えします。
久々の長文となりますので、お付き合いいただければ幸いです。

さて第一に。
「さちの物語」は、被虐待児「田中さち」の傷ついた心の自己回復のきっかけを描いています。
これは、稽古途上で何度もお伝えしてきました。
初演を終えて、付け加えてみたいことが生まれたので、補足をしておきます。

それは、
自己回復の必要性は、「被虐待児に必要なもの」に留まるものではないということ。
私たちは、それを公開稽古から初演の過程で発見してきました。

或る方がおっしゃいました。
「これは虐待・貧困・いじめを串刺しにして、傷つけられた者たちを元気にする劇」だと。

「アッ、そうだ!」

私たちは膝を手で打ちました。
「そう、それに間違いない」と。

自己回復は、貧困や差別など、背負わされた困難を抱えた人々全てに、必要なものと思われます。

そこで、現段階ではこの劇について回っている、一つの誤解についての所感を申し上げたいと思います。
その誤解とは「この劇は自分たちのことを表現したのだ」という誤解。
それについては、
「これは自分たちのための劇ではありません」とお答えをしておきます。

「さちの物語」は、私たちための劇ではなく、被虐待児のための劇でもなく、困難によって傷つけられた人々のための劇なのです。

逆から言えば、困難によって傷つけられた人々ための劇であり、被虐待児のための劇であり、私たちのための劇なのです。

分かりにくい言い方かもしれません。
この劇は、個人的な個別性を突き抜けて、様々な人に通じる普遍性を持っていると言いたいわけなのです。
これで、言いたいことを少しはお分かりいただけますでしょうか?

二番目に。
私たちは、この苦しくも楽しい作品創造過程において、「さちの物語」に取り組んでいなければ、ボンヤリとしか理解出来ていなかったであろう様々なアレコレを発見しました。
ボンヤリしたものが明晰に、かつ身体をとおった言葉としてドンドンわかってきたという感覚があります。

「自己回復」とは、きっと自分に対する誇りと未来への意欲を取り戻すことなのでしょう。
言い替えれば、人間らしい感情の取り戻しであり、自分の言葉を発見することであるのでしょうか。
また、人間として「立ち上がる」ということでもあるのでしょう。

もちろん、上述のことはあくまで私たちの発見であって、観劇された皆様の発見とイコールになるものではありません。
観劇された皆様には、一人ひとりの発見の自由があります。

その上での話になりますが、私たちが発見してきたこれらのことは、「アッ、そうだ」と電光石火でわかる方もいらっしゃれば、「???」と考えてしまう方もいらっしゃると思います。

でも上述のことは、「確かにそうなのです」としか言いようがありません。
大事なことは、電光石火でわかることではなく、考えて考えて、「やっとわかる」ことも大切だということです。

これは劇の内容が難しいと言っているわけではありませんよ。
劇はいたってシンプルで分かりやすいのです。
これは深く傷つけられた体験、自己回復の体験のあるなしの問題だと思っています。

三番目に。
今振り返ると、私たちはきっと「田中さち」の立ち上が姿、その姿の美しさを描きたかったのでしょう。

何を美しいと感じるか(美意識)も、一人ひとり違います。
私たちは、深く心が傷つけられた田中さちが「立ち上がる」姿、その姿を美しいと感じてきたのです。
これが私たちの美意識であるのです。

多くの方は、それを「みすぼらしくも貧乏くさく、見たくないし何が美しいかさっぱりわからない」というかもしれません。
しかし、私たちは確かにそれを美しいと感じています。

ですからこの劇では、劇中ラストの田中さちの無言の動きのところのみに音楽を入れました。
ほとんど無音で進む劇ですが、その一点にだけ音楽が入れています。
それは田中さちの「立ち上がり」を祝福したかったから。
私たちの美意識は、そこにあります。

以上です。

最後になりますが、名古屋でのP新人賞受賞記念公演では、ふじたあさや先生から、御丁寧な批評コメントをいただきました。
3月17日(日)久留米公演では、その御批評を指針に、もっと改善を加えたものを皆様が御覧出来るようにします。
また、まだあいまいな演技方法論の突き詰めも必要です。

しかし言えることは、
傷つけられた心を抱えて回復のきっかけを掴めず、誰にも聞こえないうめき声をあげてある皆様と共に歩む劇であることは間違いありません。

この「さちの物語」は、この社会が打ち捨てて省みることのなかった者(田中さち)が「それでも生きる」と、静かに決意します。
つまり「底辺からの人間讃歌」なのです。
よかったら、「さちの物語」を観にきて下さい。
この劇は、私たちの劇であり、傷つけられてきた人々の劇です。

3月17日(日)石橋文化センター小ホールで開催する地元久留米でのP新人賞受賞記念公演に、お越しくださることを楽しみに待っています。

そして私たちと、一緒におしゃべりしてみませんか?
きっと、それは楽しい時間になるはずです。
いや、そうしてみせます。

私たちと重なりあう皆様、お越しをお待ちしています。
また私たちと重なりあうことのない皆様のお越しをお待ちしています。

【釜】