投稿者「かまほりしげる」のアーカイブ

寄付つきチケットを始めます

新年、明けましておめでとうございます。

2023年を振り返ってみます。
昨年は、作品創造において「一郎くんのリスタート」と「さちの物語」にて、誰も否定出来ない結果を出しました。
野球に例えるならば、ヒット連打の1年でありました。
創造面での大きな飛躍をみた1年だったと思います。

2024年、劇列車はNPOとしての飛躍を計画しております。
今日は、3月17日定期公演コンセプトと新しい取り組みを皆様に紹介させていただきます。

3月17日第24回定期公演。
①それを「P新人賞受賞記念久留米公演」と位置付けます。
その場で、傷ついた心の回復のきっかけを描き出した「さちの物語~一番聞いてほしいことは、一番言いたくないこと」を上演いたします。
(これは皆様にお伝え済みですね)。

それに加えて、以下のことを公開いたします。

②久留米エリアで活動する「困難を抱え込まされた人々を支援するCSO」の方々にも集っていただける呼びかけを行う。そして、関心ある方々が集まるような上演会にする。
そんなコンセプトで臨みます。

もちろん「観てみたい」という皆様も大歓迎です。

そこで試みられる新しい取り組みについて、ご案内いたします。
③この公演から「寄付つきチケット」を新設いたします。

寄付つきチケットとは何なのでしょう?

大人チケットは、今回は1枚1800円で販売予定ですが、それに1200円分の寄付を付けたものが「寄付つきチケット」です。
寄付つき3000円のチケットとして、販売いたします。

寄付分にあたるのは1200円分。
御寄付は、弊団体「バペットシアターPROJECT(困難を抱えるこどもへの文化体験支援)」に使用させていただきます。

バペットシアターPROJECT遂行にあたって、その持続性を確保していくために自己財源確保努力が求められています。
それはあたりまえの努力義務です。
バペットシアターPROJECTに責任をもつこと、それと自己財源確保努力をすることは、表裏の関係にあるのですから。

現行のバペットシアターPROJECTは、WAM(独立行政法人福祉医療機構)から助成を受けて実行しておりますが、やはり自己財源確保努力が課題だと、つくづく痛感しております。

それでは、自己財源確保努力をどうやって行うか?

第一段は、2024年度から導入される「コアサポーター会員会費の値上げ」です(昨年5月通常総会で承認済み)。

コアサポーター会員制度は、旧来「会費を支払うと、その代価として御招待チケットを進呈する。その関係性によって劇団を支援する」制度でした。
つまり劇団制度に適した制度だったと言えます。

それを「困難を抱えた皆様をアートで支えるNPOを支援する」制度へと変更いたします。
つまり、劇団への支援制度からNPOへの支援制度へ。
「お金での支援に対して現物による見返り」ではなく、「お金での支援に対してこどものよろこびによる見返り」へ。
それに伴う会費値上げです。
現コアサポーター会員の皆様、何とぞ新制度移行後も御支援の継続をよろしくお願い申し上げます。

次の第二段が「寄付つきチケットの新設」になります。
もちろん、どれくらい寄付が集まるかわかりません。
しかし、もし集まる金額が少ないという結果になっても、落胆する必要は全くありません。
次のことが言えるからです。

バペットシアターPROJECT(困難を抱えたこどもたちへの文化体験支援)に対する寄付を市民に訴える。
それは市民の間にこの問題に対する関心を高め、共感の輪をひろげることになる。
そんな積み重ねが、次の段階で寄付拡大につながっていく。
そう思われます。
これは重大な変化につながる可能性を秘めています。

劇列車がやろうとしてきた「バペットシアターPROJECT」は、いつも理解されがたいものとして、行政に働きかけて無視されてきました。
けれど私たちは、全くめげませんでした。
私たちは、無理解に対する変化が必ず生まれると確信していました。
なぜなら、誰もが潜在的にその必要性に気づいているのだからと。

ですから、バペットシアターPROJECTの意義を見いだしていただく機運が訪れた時、この企画は羽ばたきはじめることが出来ました。
それが支援の具体的実践へとつながりました。

寄付制度の導入にしても然りだと思います。
即効効果がなくとも、この導入は確実に未来を開いていくものと確信しています。
それが更なる支援の充実という結果を招く。
そう考えています。

さて皆様。

1月は、昨年中に仕込んでおいた様々な新企画を軸に、ブログにて皆様に御紹介差し上げていきます。

はじまった2024年。これからの1年、「上演班をもつユニークなアート系NPO」舞台アート工房・劇列車に、皆様の御関心をお寄せくださるよう、お願い申し上げます。

【釜】

演劇と教育研究委員会例会を終えて

すっかり冬らしくなりました。本ブログが2023年最後のブログとなります。

24日日曜日は、演劇と教育研究委員会12月例会でした。
「浦河ペテルの家の対話実践」(塚本眞さん報告)をめぐって、たっぷり2時間フリートークをしました。
(ベテルの家を御存知ない方は、ネットで検索してみて下さいね。
たいへん興味深いことがわかってくると思います)。

フリートークでは「知的財産(知識やスキル)は、私的所有されてよいものか?」という問題が、私の心のフックに最もひっかかった議論でした。

知的財産は、多くの場合、個人の社会的地位向上や、名誉心の満足、個人の権威に人をひれ伏させることに向かいます。

これが私的所有。
これを違った言葉に翻訳すれば、「文化資本の獲得と蓄積」と名付けることも可能です。

(しかし、「資本」とはよく言ったものです。
資本とは利潤を生み出す「元手」のことですから、資本主義社会にあっては、文化資本を含めて、資本が私的に所有されるのが当たり前のことになっています。
だからか、文化資本の蓄積・私的所有が、あたかも善いことのような錯覚を生み出しています。
しかし、よく考えてみると果たしてそうなのでしょうか?
文化資本を蓄積して人より優位な立場に立とうとか、「そんな狭い了見をもつちゃあ、フテェ野郎だ」と言いたくなるのですが。
少なくとも私は…。)

そもそも知的財産は、社会課題を解決していくために有効に使われなくてはならないものです。
これは社会課題の解決を図るために黙々と活動しているNPO関係者なら、自然に解りあっていること。

簡単に言えば、「自分の知識やスキルは、困っている人のために使ってこそ」ということです。
これが知的財産の社会的共有。

新自由主義が席巻する現代においては、私的所有か社会的共有かという正面からの議論が、決定的に消失しています。
ですが、真面目に社会課題の解決に取り組んでいるNPO関係者たちは、違った言葉で同じことを、いまも活発に語りあっているはずです。

まとめてみます。
「私的所有か社会的共有か」という問題群は、決して古びたガラクタ問題群ではなく、知的財産(表現行為を含む)に対するラディカル(根底的)な問題群であり続けているということです。

いやはや、演劇と教育研究委員会12月例会は、個人的にもたいへん面白く示唆に富むものでした。

さて皆様。
2023年のブログは、いささか理屈っぽく終わりとなりました。
1年間の御愛読に御礼申します。

2024年は、世界と人間の危機がより深刻に進むと思われます。

「たとえ明日世界が滅ぶとも、私はただ黙々とリンゴの木を植える」という、一見悲観的にみえて強靭な楽天性を帯びたこの言葉を心にしまい、劇列車は黙々と2024年を歩むつもりです。
今までもそうでしたし、今からもそうなのです。

この不幸な時代にあっても、2024年が皆様にとって幸い多い年でありますように。
心からお祈り申しあけます。
来年もよろしくお願い申し上げます。

【釜】

さちの物語久留米公演に向けて~作者から皆様へ

いよいよ年の瀬です。
外は一面、雪景色。

新作「さちの物語~一番聞いてほしいことは一番言いたくないこと」初演が終わり、ホッとしています。
初演を終えて、作者として皆様にお伝えしたいことを、今から三つお伝えします。
久々の長文となりますので、お付き合いいただければ幸いです。

さて第一に。
「さちの物語」は、被虐待児「田中さち」の傷ついた心の自己回復のきっかけを描いています。
これは、稽古途上で何度もお伝えしてきました。
初演を終えて、付け加えてみたいことが生まれたので、補足をしておきます。

それは、
自己回復の必要性は、「被虐待児に必要なもの」に留まるものではないということ。
私たちは、それを公開稽古から初演の過程で発見してきました。

或る方がおっしゃいました。
「これは虐待・貧困・いじめを串刺しにして、傷つけられた者たちを元気にする劇」だと。

「アッ、そうだ!」

私たちは膝を手で打ちました。
「そう、それに間違いない」と。

自己回復は、貧困や差別など、背負わされた困難を抱えた人々全てに、必要なものと思われます。

そこで、現段階ではこの劇について回っている、一つの誤解についての所感を申し上げたいと思います。
その誤解とは「この劇は自分たちのことを表現したのだ」という誤解。
それについては、
「これは自分たちのための劇ではありません」とお答えをしておきます。

「さちの物語」は、私たちための劇ではなく、被虐待児のための劇でもなく、困難によって傷つけられた人々のための劇なのです。

逆から言えば、困難によって傷つけられた人々ための劇であり、被虐待児のための劇であり、私たちのための劇なのです。

分かりにくい言い方かもしれません。
この劇は、個人的な個別性を突き抜けて、様々な人に通じる普遍性を持っていると言いたいわけなのです。
これで、言いたいことを少しはお分かりいただけますでしょうか?

二番目に。
私たちは、この苦しくも楽しい作品創造過程において、「さちの物語」に取り組んでいなければ、ボンヤリとしか理解出来ていなかったであろう様々なアレコレを発見しました。
ボンヤリしたものが明晰に、かつ身体をとおった言葉としてドンドンわかってきたという感覚があります。

「自己回復」とは、きっと自分に対する誇りと未来への意欲を取り戻すことなのでしょう。
言い替えれば、人間らしい感情の取り戻しであり、自分の言葉を発見することであるのでしょうか。
また、人間として「立ち上がる」ということでもあるのでしょう。

もちろん、上述のことはあくまで私たちの発見であって、観劇された皆様の発見とイコールになるものではありません。
観劇された皆様には、一人ひとりの発見の自由があります。

その上での話になりますが、私たちが発見してきたこれらのことは、「アッ、そうだ」と電光石火でわかる方もいらっしゃれば、「???」と考えてしまう方もいらっしゃると思います。

でも上述のことは、「確かにそうなのです」としか言いようがありません。
大事なことは、電光石火でわかることではなく、考えて考えて、「やっとわかる」ことも大切だということです。

これは劇の内容が難しいと言っているわけではありませんよ。
劇はいたってシンプルで分かりやすいのです。
これは深く傷つけられた体験、自己回復の体験のあるなしの問題だと思っています。

三番目に。
今振り返ると、私たちはきっと「田中さち」の立ち上が姿、その姿の美しさを描きたかったのでしょう。

何を美しいと感じるか(美意識)も、一人ひとり違います。
私たちは、深く心が傷つけられた田中さちが「立ち上がる」姿、その姿を美しいと感じてきたのです。
これが私たちの美意識であるのです。

多くの方は、それを「みすぼらしくも貧乏くさく、見たくないし何が美しいかさっぱりわからない」というかもしれません。
しかし、私たちは確かにそれを美しいと感じています。

ですからこの劇では、劇中ラストの田中さちの無言の動きのところのみに音楽を入れました。
ほとんど無音で進む劇ですが、その一点にだけ音楽が入れています。
それは田中さちの「立ち上がり」を祝福したかったから。
私たちの美意識は、そこにあります。

以上です。

最後になりますが、名古屋でのP新人賞受賞記念公演では、ふじたあさや先生から、御丁寧な批評コメントをいただきました。
3月17日(日)久留米公演では、その御批評を指針に、もっと改善を加えたものを皆様が御覧出来るようにします。
また、まだあいまいな演技方法論の突き詰めも必要です。

しかし言えることは、
傷つけられた心を抱えて回復のきっかけを掴めず、誰にも聞こえないうめき声をあげてある皆様と共に歩む劇であることは間違いありません。

この「さちの物語」は、この社会が打ち捨てて省みることのなかった者(田中さち)が「それでも生きる」と、静かに決意します。
つまり「底辺からの人間讃歌」なのです。
よかったら、「さちの物語」を観にきて下さい。
この劇は、私たちの劇であり、傷つけられてきた人々の劇です。

3月17日(日)石橋文化センター小ホールで開催する地元久留米でのP新人賞受賞記念公演に、お越しくださることを楽しみに待っています。

そして私たちと、一緒におしゃべりしてみませんか?
きっと、それは楽しい時間になるはずです。
いや、そうしてみせます。

私たちと重なりあう皆様、お越しをお待ちしています。
また私たちと重なりあうことのない皆様のお越しをお待ちしています。

【釜】

さちの物語で脚本賞受賞!

オリオン座が夜早くから夜空を飾るようになりました。

さて、P新人賞2022受賞記念公演「さちの物語」公演が近づいてまいりました。
12月17日(日)14時開演、場所は名古屋市損保ジャバンひまわりホールです(開場30分前)。
皆様、よかったらお越しください。また名古屋近隣在住の知人の方がいらっしゃいましたら、公演があることをお知らせいただきますと幸いです。

そして皆様に御報告です。
この作品(さちの物語)は、日本児童青少年演劇協会主催「児童青少年演劇のための劇作家養成講座」脚本賞(2023年度賞)をいただきました。

選考者はふじたあさや氏と森田勝也氏。
いただいたばかりの賞ですが、脚本賞受賞作でもって、P新人賞受賞記念公演に挑めることを、率直に慶びたいと思います。

さて「さちの物語」は、つい先日に公開通し稽古を終えました。
終えて思うことは、次のことです。
この作品はいわゆるエンターテインメント作品ではないということ。
この作品は、いつも現実と緊張関係をはらみながら創ってきた作品だということ。
あらためて、そう思った次第です

現実との緊張関係をはらみながら創ってきた作品ですから、怖くなる時もありました。
実際そういう瞬間を何度かくぐってきました。
しかし少なくとも、私たちはそこから逃げずに創ってきました。

なぜなら、どうしても創らざるを得なかった作品だからです。
この感覚はわかりずらいと思いますが、心に深く刻まれた傷からの回復のきっかけを描くことが出来なければ、困難を抱えた子どもたちの前に立てないと思い定めてきたのです。

繰り返して言いますが、私たちは劇団ではありません。
社会課題を文化的な側面から解決しようとするNPOです。
ですから、演劇を創るとか人形劇を創るとかは、目的ではありません。
あくまで社会課題解決のための手段にすぎないのです。
ですから、私たちの作品づくりの文脈は、いわゆる「劇団」のそれとはズレています。

その土台の上に立った「さちの物語」。
上述したように私たちを追い詰めてきました。
それがほんとうに苦しかったから、それがほんとうに楽しかったのでした。

最後になりますが、12月17日には、公演会場ひまわりホールに、ふじたあさや氏が脚本賞(2023年度賞)の賞状を渡すために駆けつけていただけるとのこと。
ふじた先生、わざわざありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。
こんなに嬉しいことはありません。

そして名古屋の未知のお客様方、「さちの物語」は、もしかしたら、一風変わった作品に見えるかもしれません。
でもそれは奇をてらってそうなったわけではなく、私たちの創造の必然からそうなったと思っています。
どうか楽しんで御覧いただきますよう、お願い申し上げます。

またこの受賞記念公演を主催される「愛知人形劇センター」の皆様、ありがとうございます。
土曜日曜とお世話になります。
よろしくお願い申し上げます。

【釜】