不足している?幼児期における他者との経験

昨日・おとといの土日は、「こども人形劇がっこう」。小学1~2年生を対象とした人形劇ワークショップでした。
参加してくれた子どものみなさん、送り迎えやお弁当の準備をしてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。

現在の小学1~2年生は、コロナ禍初の緊急事態宣言が出された2020年当時、年少・年中だったこどもたちです。
このとき3密回避ということで、ごく親しい間柄の人以外、手をつないであそぶこと、ままごとあそびで道具を共有すること、「おいしいね」とおしゃべりしながら食事すること、たくさんのあそびが制限されていました。

しょうがないといえば、しょうがないのです。あのときは、どうやって子どもたちを守るのか、一生懸命に考えて試行錯誤して、心を痛めながら、自然と接近してあそびたがる子どもたちのあそびを制限していました。
はじめは反発や戸惑いの反応を見せていた子どもたちも、「コロナだから」を合言葉に順応していき、制限のかかったあそびに次第に慣れていきました。

コロナ禍が落ち着き、徐々に日常に戻っているように見えます。
わたしたちも、3密回避で中止していた、こどもワークショップを再開しています。

しかし、子どもたちの様子は、コロナ前と全く変わっているように感じます。
圧倒的に、“主体的なあそび”の経験が不足しているように思えてならないのです。

満足するあそび方で、満足する時間まであそび、ときには友だちという他者とぶつかり合いそして仲直りをする…
このような主体的なあそびの中で、体験的に“自分の輪郭”をなぞることができ、自分の輪郭をなぞることができた経験から、“他者の輪郭”に思いを馳せることができる。

『自分が何を好むのか分からない』
『他者と気持ちがぶつかり合うことを必要以上に恐れる』
コロナ前の6~8才の子どもたちにはそう多くは見られなかったこれらの様子。
今現在6~8才のこどもたちに多くみられるこういった反応は、他者との満足のいく“主体的なあそび”の経験が圧倒的に不足しているからとしか思えないのです。
(もちろん、全員がこういった反応をみせるというわけではありません。また、コロナ前にこういった反応の見せる子どももいました。しかし、年少・年中時期からはじまったコロナ禍によって、いずれの児童も幼児期に必要な他者とのあそびの経験が不足していることは間違いないと思われます。)

日常生活の中では、こどもたちの経験に何が不足しているのか、気付きにくい。
けれども、“自由にあそべる”ひとときを設定してみると、驚くほど、見えてくる。
こどもたちにとって、たった4時間半のワークショップではありましたが、不足している体験をちょっとでも補完することができる楽しい体験になっていたら、こんなに嬉しいことはありません。
低学年向けワークショップを終えて、そのようなことを考えてしまいました。

さて、来月は小学校3~6年生を対象とした人形劇ワークショップです。
もうすぐ、小学校を通じて皆様にご案内差し上げます。
(ホームページにはすでに情報を掲載しております。ご関心のある方はこちらからのぞいてみてください。)
どうぞみなさん、こちらもお楽しみに。お申し込みお待ちしております。

【尚】

演劇と教育研究委員会開催

菜の花も八分咲きですね。めっきり日が長くなりました。

さて、一昨日は演劇と教育研究委員会2月例会(通算9回目)でした。
報告は「言葉を紡ぎ自己を解放する野球部員たち~短歌・俳句の創作を通して~」(N短大付属高校城尊恵さん)です。

報告について一口にざっくり言うと、とても骨太でシンプルな報告でした。
一晩飲み明かしながら、酔いつぶれるまでフリートークを続けたい。
そう思わせるような魅力に満ちた報告でした。
きっと、そうやって飲む酒は美酒でありましょう。

(感覚的な表現ですみません。
そんな楽しみ方をしたいほど魅力に満ちた実践だ。そう言いたいわけなのです)。

もっと論理的に述べてみましょう。

高校生たちの心の中に渦巻いているもやもやに、高校生自らが言葉を与えていったとりくみといってもよいかもしれません。

自己を掘っていき、言葉を発見していく高校生の作業を励ました取り組みと言うことも出来ます。
借り物の言葉でなく、自分にとっての本物の言葉を発見していくことを促した取り組みともいえます。

自分にとっての本物の言葉…。

簡単に言われがちですが、それを見つけだす作業(自己内対話)をすることは、どんな場合でもとても苦しいものです。
とんでもなく苦しいことなのです。

自己の内側に潜っていって、得体のしれない何かに言葉を与えていく(言い換えると言葉を発見していく)作業は、突き詰めていかなくては出来ないのですから、とても苦しい。

突き詰めて、突き詰めて、もうこれ以上ムリというまで突き詰めて。

何が苦しいのかと言いますと、突き詰めることがとても苦しいのです。
でも突き詰めて言葉を発見した時、表現はシャープになり、苦しさは楽しさへと急速に変わります。
その意味で、苦しさと楽しさは裏表の関係にあります。

私は、すぐに「楽しさ」をあげつらう人々に違和感を持ってきました。
そんな楽しさは、有害無益だと言ってきました。
なぜなら、苦しさと裏表の関係にない「楽しさ」は、本物の楽しさではないからです。

城さんは、そんな本物のを楽しさを楽しむ高校生たちを育てているのです。
彼女は、くっきりとした輪郭を持って立っているだけ。
そこに何か複雑な技が駆使されているわけでなく、何か魔法があるわけでもない。
ただ「この俳句作品の中にあなたはいるの?」と、高校生たちに問うているだけ。
その姿は「くっきりとした輪郭を持って立っている」としか表現しようがありません。

でも、苦しさと裏表の関係にある楽しさを知った高校生たちは、勝手に言葉を突き詰めて、鋭い表現をつくりだしていくのですね。
余分な贅肉のないとても爽快な実践でした。

こんな言い方で、城先生の実践の魅力は伝わったでしょうか?
いささか心もとないのですが…。
あえてまとめるならば、表現活動体験のもつ素晴らしい力を、あらためて再確認することが出来た報告でした。
城先生、有意義な学びの場を御提供くださり、厚く感謝申し上げます。

次回演劇と教育研究委員会は、4月例会となります。
劇列車からの「パペットシアターPROJECTにみられるこどもと大人の変容」について報告します。

皆様、4月28日(日)演劇と教育研究委員会4月例会に参加してみませんか?

【釜】

2時間は短い?長い?~親子であそぶ人形劇がっこうinちくしの終わりました

昨日は親子であそぶ人形劇がっこうinちくしの。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
3連休最終日が、親子の皆様にとって素敵な1日になっていましたら幸いです。

このワークショップは2時間のプログラムです。簡単な工作から遊んでみるまで。
終わった後の感想には、子どものみなさん大人のみなさん、それぞれのたくさんの気持ちをいっぱい書いてくださっています。
「おもしろかった!」「家でもまたやってみたい」「子どもが自由な発想をしてくれて嬉しかった」「想像することの奥深さを感じた」
言葉に書ききれない気持ちは、身体で表情で私たちに伝えてくれます。帰り際、人形劇あそびでやっていたことを身体表現で表したり。

最近よく、大人の感想の中にとても興味深いものが見受けられます。
「2時間という短い時間でこんなに楽しめるなんて」
「2時間という長い時間をこどもと遊ぶなんて、めったにない機会になった」

前者の感想、全くもってそのとおりです。
人形をつくるところから始めて人形劇であそんでみるところまでを2時間でやってみるというのは、とってもとってもとっても短いのです。
2時間で親子のみなさんに人形劇の面白さをどう体験してもらうことができるのか…プログラムの組み立てや材料選び、工作手順、とても試行錯誤しています。
誰でも参加できる親子向け自主ワークショップをはじめた10年前は、『人形劇をやるためには時間がかかる』ということに理解が得られず苦労していたものです。(体験された方々にはいうまでもありませんが、この『時間がかかる』ことに人形劇の魅力が詰まっているのです。詳しくはまた改めて。)
2時間を短い時間と評価してくれた前者の感想に感慨深く思いました。

後者の感想は、わりとよく言われます。
”わりとよく言われる”ということに、保護者の方の日々の忙しさが想像でき、胸が締め付けられます。
毎日の暮らしの中にある「余白」が、とても小さくなっていると感じます。この「余白」のなさが、狭量で排他的な人間関係につながっているように感じてなりません。
では、「余白」をつくるために保護者ががんばればいいのか?いえ、そうではありません。
精神的「余白」をつくりだすことは、いち個人の努力だけでなんとかなるものではないのです。

人形劇ワークショップにおいて、2時間はとても短い。
でも、毎日一生懸命くらしている親子のみなさんにとって、2時間は短いのか?

時間の感じ方はひとそれぞれだと思います。短く感じる方、長く感じる方、どちらの感じ方でも全く問題ありません。
いただいた感想の裏側に、参加された親子のみなさんの、『毎日のがんばり』が透けてみえる。
だからこそ、わたしたちのワークショップが、親子の皆様にとって素敵な1日になっていましたら、こんなにうれしいことはありません。

【尚】

バペットシアターPROJECTで福岡市へ

立春も過ぎ、梅も満開ですね。
春ももうすぐです。

さて、昨日は2023年度最後のバペットシアターPROJECTでした。
福岡市のふくふくプラザにて、フリースクールみんなの学び館様と、フリースクールコピカ様の子どもたちが参加してぐれました。
小学生から中学生まで。

プログラムは、以下のとおりです。
①人形劇ワークショップ。
②「一郎くんのリスタート」観劇会と対話のひろば。
以上のプログラムで、10時半から14時まで。

特に人形劇ワークショップは、人形を使ってのインプロ(即興)にチャレンジしました。

また「対話のひろば」は、「一郎くんの出口はどこだったのだろう?」「自分の出口はどこだろう?」というテーマ設定を設けて行いました。
グループに分かれて、あちこちで劇を観た小学生、中学生たちが、思い思いのことを活発にしゃべりあっていました。
まるで、あちこちで小鳥たちがさえずりあっているような…。
そんな心地よい時間でした。

今回私たちと連携いただいたみんなの学び館の先生方、そしてコピカの先生方、ありがとうございました。
また、ボランティアでこの取り組みを支えていただいた皆様にも御礼申し上げます。

さて不登校の子どもたちは、不登校になった途端に孤立してしまいます。

何に自分が傷ついているのかはっきりとはわからなくとも、確かに深く傷ついているのです。
それは、いじめであったり虐待であったり、息苦しさであったり…。
様々な理由があり、それらが複合してしまい、本人も理由がわからなくなっている場合もしばしば…。
そんなことを聞いたりします。

大人からするならば、不登校の原因を究明することも大切なことでしょう。
しかし、こどもからするならば、それよりも不登校の出口の方が、もっと大切なことのように思えてなりません。

不登校になりたくてなるこどもたちはいません。
学校に行けなくなることで、最も苦しんでいるのは、こどもたち自身です。
不登校は、病気でもサボりでも、問題行動でもないのです。
あえて言うならば、「避難」なのかもしれません。
これ以上はもうムリという避難。
それは大切な避難なのではないでしょうか?
このことに異論を持たれる方もいらっしゃると思います。
ですが不登校の現実にぶつかると、私にはそう思えてならないのです。

そんなこどもたちが傷ついた心を回復して、再びつながりを回復していくことこそが、未来あるこどもたちには大切なことではないでしょうか?

不登校=孤立の図式は、なんとしても崩したいものです。
フリースクールで元気に学んで遊んでいるこどもたちをみると、そんなことを思ったりします。

その文脈で物事を見つめるならば、本ブログでも紹介してきました「不登校の子どもに多様な学びを保障する給付型奨学金」の重要な必要性を、あらためて痛感します。

お金に余裕があるなしで、不登校のこどもの学びが開けたり閉ざされたりしてはならないのです。

最後になりますが、今年度のバペットシアターPROJECT(困難を抱えたこどもへの文化体験支援)は、これで終了となります。
助成団体様への報告書づくり等の作業は、今からになりますが…。

そして2024年度には、5団体様と連携してバペットシアターPROJECTを進めることになります。

私たちは、この事業でたくさんの大切なことを学んできました。
そのなかで一番大切なことは、困難を抱えた当事者から出発するということです。
これは、バペットシアターPROJECTの最大の肝だと思っています。
それらの学び全てを、来年度に生かしていきたいと考えています。
来年度連携団体の皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【釜】

チケット販売開始。3/17「さちの物語」

P新人賞受賞記念久留米公演「さちの物語」のチケット販売がはじまりました。
石橋文化センター、久留米シティプラザ情報サテライト、弊団体ホームページで販売しております。
公演詳細はこちらからチケットお申し込みはこちらから

「さちの物語」は中学3年生の女の子「さち」が主人公です。中学3年生といえば、14~15歳ですね。
さちは、DVが吹き荒れる家庭で育ちます。父が母に暴力をふるう光景が、彼女にとっての”日常の風景”なのです。
10歳のころに目撃した”面前DV”が、特にさちの心に印象深く残ります。その日のDVのきっかけは、学校でさちが受けた”いじめ”でした。

――DVを受けたら、すぐに周りにSOSを。
その通りですよね。
でも、ちょっと想像してみてください。

――学校での自分の行動が原因で、DVを受ける母。
そう感じている「さち」が、学校の先生に相談できるのでしょうか。

「さち」の”こころ”はどう動くのか。
幼少期より繰り返し傷つけられている”こころ”を回復させるとは、どういうことなのか。
ご覧いただいたみなさんに、たくさんのご感想とご意見をいただけたら嬉しく思います。

さて、この作品の初演は愛知県名古屋市にある「ひまわりホール」で行いました。
初演に先駆け、お申し込みいただいた方々に作品を観ていただく機会を設けました。
観ていただいた方のお一人、竹島由美子様からの感想を一部引用させていただきます。全文は、チラシ裏面に記載しております。

『やがてその言葉はさち個人というよりも、いまの社会の中で「生き辛さ」を抱える多くの子どもたちの声に聞こえてくる。
「負けるな、さち!」と観客席から応援していたはずなのに、いつの間にか舞台上のさちから、背中を押されたような爽快感を覚えた。
きっと誰もが勇気づけられる作品だ。』

どうぞ皆さま、この作品を観に、ぜひお越しください。
公演詳細はこちらからチケットお申し込みはこちらから

【尚】